猛暑日が続いておりますが、皆さん体調は大丈夫でしょうか。
久留米市でも10日連続猛暑が続いており連日ニュースでは熱中症にならないように
こまめに水分補給をと呼びかけています。
水分補給お忘れなく!!
8月に入りいよいよ「リオオリンピック」が開催されましたね!!
環境が騒がれている中、早くも柔道や競泳でメダル獲得選手が続出ですね!
やっぱり日本人はすごい!!!
その中で、競泳 400m個人メドレーで金メダルを獲得した萩野 公介選手は、
生後6ヶ月から水泳を始めて、小学3年生から高校3年生までは10年間、週6日自宅jから1時間かけてスイミングスクールに通われていたそうです!!
遊びたい時期に沢山練習を頑張ってこられたんですね。。
また萩野選手のライバルと言われている瀬戸 大也選手も銅メダル!!
本当に凄い!!この2人は小学生の頃から切磋琢磨されてきたんですね。
スポーツは心も体も強くしてくれますね。
以下、ネットニュ-スより~
萩野は12年ロンドン大会で、高校3年ながら銅メダリストになった。日本選手権は12年から連覇を続ける。そして日本記録も保持。五輪金メダルへの視界が広がる中、萩野の前に立ちはだかったのは終生のライバル瀬戸だった。ロンドン大会後から大一番に強い瀬戸に、12年世界短水路、13年世界選手権、14年世界短水路と世界大会で勝てない。
小学3年の初対戦時は25メートル以上の大差をつけた。小学校時代は全勝。中学2年で瀬戸に初黒星も、対戦成績は勝る。実力は上との自負があるから「ライバル 件とは認めたくなかった」と本音をもらす。瀬戸に対して抱く「勝つ」ではなく「負けられない」との強すぎるライバル 件心が、攻めの気持ちを消していく。レース前に少しでも不安がよぎると「頑張って、真面目にやって負けるのは嫌だし、頑張りたくない」と、プライドがマイナスに働いたこともあった。
14年12月の世界短水路、15年5月のジャパンオープン、同年6月の欧州GPと、立て続けに瀬戸に敗れた。負の連鎖が続くように、同月28日、合宿中のフランスで、練習場に行く途中に自転車で転倒し、右肘を骨折した。世界選手権欠場。平井伯昌コーチからは「骨折で出られないのは格好悪い。でも(瀬戸に)気持ちで負ける方が、もっと格好悪いし、いけないことだ」と諭された。「ノーガッツ、ノーグローリー」のラインも送られてきた。
小学1年で1日1万メートル泳いだ。常に独り旅で圧倒し、同学年に敵はいない。戦う相手は常にタイム。だからこそ、急成長した瀬戸との競り合いになると、もろさが顔を出す。逆に常に「打倒萩野」を掲げる瀬戸には気迫負けする。もともと人嫌いで、自分の本音をさらけ出すことが苦手。相談相手は少ない。自然と行き詰まり、袋小路に迷い込んでしまった。志願して指導を仰いだ平井コーチにすら本音を言えず、コーチとの距離も遠くなっていた。
右肘骨折で無念の帰国から1週間後の7月上旬。まだ泳げず、プールサイドでマネジャー業を手伝っていると、東洋大で平井氏を補佐する田垣コーチから声を掛けられた。「お前は平井先生に対して1歩引いてるぞ。『お願いします』、と入学した当時の思いで何事も取り組まないと、平井先生の思いも伝わらないぞ」。その言葉は心に響いた。
小学生時代から怪童といわれ、エリート街道を歩んできた。自分1人で何でもできると思い上がった面はゼロではない。「自己中心的な考えがあった。自分さえ良ければと。平井先生に対しても受け身になっていた」。順調なときは自分だけを頼ればいい。ただ、瀬戸に対して不安を抱いたり、弱気になったとき、1人では行き詰まる。12年ロンドン大会後は、その繰り返し。骨折した右肘以上、心はもっと悲鳴をあげていた。
耳の痛い話だった。速いだけの自分のままだったら聞き流していたかもしれない。ケガをして孤独に苦しんでいたからこそ、客観的に自分を振り返られた。「ストンと胸に落ちた。技術どうこうより、人間としてどうだったか。信頼する人がいるからこそ、スタート台の前に立ったときに、1人じゃないとか、感謝の気持ちが浮かぶ。もっと人に頼っていい」。平井コーチから常に「何でも言え」「弱い自分、ありのままの自分をさらけ出せ」との言葉もやっと理解できた。
その日、部屋に帰ると、A4用紙2枚に、自らの思いを書き殴った。「自分は1人だと思い込んだ→その結果、試合で気持ち負け。自信なくす。(略)メンタルの強さを得るためには、心の底から応援してくれる人がいるからと思うこと。(略)受け身であってはいけない。その高い目標を達成するためなら、何が何でもという気持ちを持って取り組む。能動的に」。その2枚の紙は、決意表明としてその後、時を見て読むことになる。
もちろん、簡単に人間は変わらない。1月の東京選手権。調整不足の瀬戸に対して弱気になり、接戦で辛勝。テレビの会見で平井コーチに「心技体の心が足りない。強く言いたい。もう許さない」と激怒された。3月のスペイン・高地合宿では引退した北島康介と同部屋になり、強烈な勝負魂を授かる。5月からは約2カ月半の欧州遠征。平井コーチとは毎食、一緒に食事を取り、時には釣りに行くなど、水泳以外でも語り合い、信頼関係を深めた。一方で、苦手意識のあった瀬戸への闘争心を高めた。
骨折した右肘はもう真っすぐには伸びない。だが、屈折しかけた心は、やっと大舞台を前にしっかりと整った。「この4年間、ぼくが一番波瀾(はらん)万丈だと思う。でもその分、気持ちは強くなった。いい時も悪いときもプールはそこにある。永久不変。でも泳ぐ本人の気持ち、コンディションが違うと、プールは違った対応をしてくる。どう向き合うか。だから真摯(しんし)に向き合う。今はウエルカムです」。心技体のすべてがそろった萩野に、勝利の女神がほほ笑んだ。
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